探偵手記

助手による探偵ごっこ

ささやかな祝祭

「まれびとと祝祭」に行ってきた。

https://www.tokyoartbeat.com/events/-/2022%2Ftaro-okamoto-exhibition

神話とか怪異とか、科学がそこまで発達してなかった時代の人たちが、わけのわからない物事にどう折り合いをつけていたかに興味があって、そういう各地の伝承に関する話が知れるのかな〜と期待して行ってみた。展示の主題は想像したものとは結構違っていて、「仮面」の持つ超自然的な力とか、人と神の二面性とか。正直に言うと展示場の「おわりに」の文章は意味がわからなかったのでトンチンカンなことを言っているかも。恥ずかしいぜ

日本橋高島屋開催とあってかなりドキドキしながら行った。展示スペースのある階は婦人服・婦人雑貨のフロアで、普段見る商品よりゼロが一つ多い道をキョロキョロしながら通り過ぎた。

会場についてびっくりしたのはその狭さ。入り口から会場全体が見渡せる12畳程度のスペースに、余裕をもって物品が並べられていた。昔横浜のそごうで「不思議の国のアリス展」が開催されていたときは30分くらいかけて会場を歩き回るタイプのもので、それを想像して行ったのでちょっと拍子抜けしてしまった。入場料が無料だった時点でおや?とは思っていたので、なるほどな、という感じだった。

内容自体はかなり興味深くて楽しかった。展示のメインは日本各地の祭りに関する写真と文章だった。祭りと行っても神社で行われるようなものではなくて、人が仮面なり仮装なりで神(まれびと)に扮して踊ったり歩き回ったりするタイプのやつ。一番有名なのはナマハゲか。他の物事でもそうだけど、東北と九州以南によく似た文化が残っているの本当にすごいことだと思う。中央権力の行き届かない場所ほど自分たちの信じる超常的存在の力を借りて暮らしていくしかなくて、こういう似たような祭りの文化が残っている、ということらしい。

展示の半分は岡本太郎によって記録されたものだった。岡本太郎は変なものを作る芸術家程度にしか思っていなかったので、ガッツリ民俗学のフィールドワークをしているのは意外だった。かなり失礼な印象だけど、感性全振りのイメージだったのでこういう学問的なことを好んでいるとは思わなかった。そしてさらに意外だったのが文章がうまかったこと。現地で感じた衝撃とか熱量がダイレクトに文章に落とし込まれていて、写真と併せて見ると空気感がビシバシ伝わってくる。芸術家ってすげ〜と感じたよ。

会場の中央にはアイヌの祭器が飾られていた。残念ながら文章による説明がなかったので、いまいち何に使うかわからなったけど、確かに装飾の感性は大和とはちょっと違うかも?という感じ。発音が難しいカタカナだった。それよりもびっくりしたのは、岩手県アイヌっぽい模様で色味がビシバシの衣装を着て踊る祭りがあったこと!言われなければ琉球か東南アジアかと思うぐらいに、いわゆる日本らしさとは異質のセンスを持つ文化だった。面目上同じ国とはいえ岩手の人も都から見たら全く違う民族に見えてたんだろうな。そもそも関わる機会なんてほとんどなかっただろうからそう感じることすらなかったのかも。

ここ数十年は日本の各地で祭りが途絶えていっているらしい。特に数年に一度しか開催されない祭りは継承できる人もされる人も少なくなりすぎてしまったんだとか。悲しすぎるよ……逆に今までよく生き残っていたというべきなのか。だから民俗学者たちは頑張って映像や写真で記録を残そうとしているらしい。頑張ってくれ!

Aadd9

体の痒みは、終わらねェ……!

日中の雨のおかげで気分下がりまくりの一日だった。気温こそそこまで上がらないもののじっとりと肌に服が張り付く感覚は何年過ごそうと慣れずに不快なままだ。


二年前の外出自粛以降カラオケに行く機会がめっきり減ってしまった。歌があまり得意ではなく人前で歌うのは苦手な方なので、もともと団体で行くよりも一人で行くことの方が多かったけど、一人で行くことまで流れで自粛し続けてしまっている。一人ならもうさすがに気兼ねなくいっていいとは思うんだけど。

そのおかげか、家でアコギを弾きながら歌うことが増えていた。ギターも簡単なコードをジャカジャカ鳴らすくらいしかできないけど、幸い戸建ての実家暮らしなので、窓さえ閉めれば隣人を気にせず歌えてかなり気持ちいい。

最近友人から「Chord AI」というアプリを教えてもらった。スマホ内の曲やYouTubeの動画を解析してコードを教えてくれる、というもの。数年前に似たようなコンセプトのYAMAHAのアプリを試して精度が微妙だったので使わずにいたけど、これがなかなか参考になる。なぜか典型的な、繰り返すような進行でやや判定がブレがちだけど修正できるし、自分で聞いても分からないような突飛なコードをかなり正確に当ててくれる。マイナーなボカロ曲とか、歌いたくても弾けない曲がバリバリ弾けるようになってとっても楽しい!


音感があれば機械に頼らなくてもいいんだろうけど、残念ながら無いので、これでトレーニングします。

( ●―● ) コンニチハ

今日はかなり体調が芳しくなく、ろくに活動できずに眠りこけていた。

数日前から背中を中心に発疹が出てしまい全身がだるい。ムヒを塗りたくりでもしないとかゆくてたまらない。この痒さからすると内因性とか心因性のものじゃなくシンプルに虫刺されだと思うんだけど、にしてもそんなに刺されるか??と思うほど腫れができまくっている。お盆ということもあって土日に田舎に帰ったので心当たりがないわけではないけど……とにかく炎症で体力が持っていかれて倦怠感がひどいので明日にでも病院に行こうと思う。

研究に手を付けられなかったのでベッドの上でぼーっと論文を眺めていた。自分に関係のない(興味だけがある)分野の論文は責任がないから楽しんで読めるけど、自分の研究に関するものは身構えてしまうので読んでて疲れるし楽しさを感じる余裕がない。他分野の面白い論文を見つけるたびに「うわ!これ研究したいな」という気持ちにさせられるけど、自分の気質上それを専門にしたら楽しさをほとんど感じなくなっちゃうんだろうな。

この前ベイマックスを初めて見た。メインビジュアル数点くらいの知識しかなかったから、まさかあんなガチガチのヒーローアクション物だとは思わなかった。もっと日常系の友情・成長物語かと思っていたよ……終盤は良くも悪くもディズニー映画らしい展開でしっかり感動させる話だったけど、オチがあまりに急激で、半分笑い半分困惑の顔でPCから排出されるDVDを見届けていた。本当にあれでいいのかよ

みんなも見てみてね

冒頭で主人公の兄が通う研究室のシーンがあった。一つのラボ内とは思えないほどいろんな分野の学生が思い思いの研究をしていて、これは子供から見たらすごくワクワクする光景だろうな、と少しうらやましかった。現実での、特に自分が過ごしている研究室生活とあまりにかけ離れていて、頭の隅では「なんじゃこりゃ」とツッコミを入れたくもなってしまうけど、フィクションの中でくらい研究の楽しい面をフォーカスしてくれるのはいいことだよね。

きっとあの映画はロボティクスとかの技術研究者にも監修してもらったりスタッフにそういう人たちがいたりしたんだろうけど、彼らはどんな気持ちでああいうシーンを描いていたんだろう。あれほど派手ではないにしろ、彼らなりにいい思い出がたくさん残っていないと書けないよな、と思う。今の自分が研究室の日常を描こうとしても単調で暗い様子しか表現できる自信がない。将来的につらかったことだけ都合よく忘れてくれることを祈るしかないか。


かゆすぎる

ベイマックス、背中を掻いてくれ

霊圧

ジャンプ+ で BLEACH が結構な話数無料になっていたので、ちょこちょこと読み進めている。やっぱり有名な漫画だけあってと~~~~っても面白い♡♡♡ オシャレな構図とか詩ばっかり有名だからその印象しかなくで、あんなにドタバタコメディっぽいシーンがあるとは思わなかった。

インターネットでネタにされている場面がちょくちょく出てきていて、知ってる知ってる!とはしゃいでしまった。これは前にジョジョ1部を3巻まで読んだ時にも感じていたな。ジョジョの場合1巻ですでにいくつも遭遇したのには驚いたけど。

読んでるとどれもカッコよかったりドキッとするシーンなので、面白おかしい消費のされ方しか見てこなかったのがもったいないというか、何も知らなければもっと純粋にわくわくできたのにな……


今は鬼道の詠唱をノートに書き写して、その隣にオリジナルの斬魄刀を描いています

kissan tunteita

図書館で『Suomen kieliopin käsikirja(フィンランド語文法ハンドブック)』を借りた。前に一度別のフィンランド語の本を借りたことがあって、その時はほとんど読み進めないまま返却期限を迎えてしまったので、お盆休みを利用して再挑戦しちゃろ!という魂胆だった。


ここで俺様直々にフィンランド語のヤバいポイントを紹介


名詞には「格」というものがある。すご~く雑に説明すると、「その文章の中でこの名詞はどういう役割ですか?」というもの。

例えば「イチロウがジロウにチョコをあげる。」という文では、「イチロウ」は 主格 、「ジロウ」は 与格 、「チョコ」は 対格 になる。こういう主語とか目的語に限らず、文章中に登場する「8時から」とか「電車で」のような名詞を役割ごとに細かく分類できるもの、というイメージが近そう。日本語ではこれらを格助詞(てにをは)を付けることで区別している。

そして、いくつかの言語では格を区別するために、名詞の形を変えて扱っている。英語でも代名詞なんかは主語で「I」、目的語で「me」、所有格で「my」のように形を変えるけど、あれを全部の名詞でやるようなイメージ。古典ラテン語は 6 つの格を区別して格変化していたけど、今のフランス語やイタリア語とかでは格変化は無くなっているらしい。

そしてフィンランド語は、14 の格を区別して格変化している。例えば kissa (猫)という単語だと、単数形はこんな感じ。

語形 意味
主格 kissa ~が
属格 kissan ~の
分格 kissaa ~を
内格 kissassa ~の中で
出格 kissasta ~の中から
入格 kissaan ~の中へ
接格 kissalla ~の表面で
奪格 kissalta ~の表面から
向格 kissalle ~の表面に
様格 kissana ~として
変格 kissaksi ~になる
欠格 kissoin ~なしで
具格 kissatta ~を使って
共格 kissoineen ~とともに

ヤバすぎる

しかも複数形はまた別の形になる。すごすぎるぜフィンランド


このヤバさに惹かれてちょっとやってみるか!という気になった。ちなみにお盆では 340 ページ中 48 ページしか進まなかった。名詞は上の表で言う「向格」までで、動詞は現在形だけ。無理すぎるって

調べてみたら日本語の格助詞は 9 個で、区別の数自体はそんなに大差ないことにはちょっと驚いた。日本語がぺらぺらであるという事実が、俺を強くする

こんなことをしている暇があったら論文を読んだり研究をしたほうがいいんだけど、頑張るぞ~~

スペース・スペース

ブログを開設したものの特に何か書きたいことがあるわけではなくて、長い文章を書く練習になるかなと思っている。Twitter だと短い文章、あるいは文章にすらなっていないようなものでも気軽に投稿できてしまうので、ある程度まとまりのある文章を書く力が最近メキメキ落ちているんじゃないかな〜と不安になっていた。先学期末に久しぶりに授業のレポート課題があって、それが気のせいじゃなかったことに気づき絶望


LINE とか Twitter で、半角スペース2つで文章を区切る癖がある。意図的にそうしているのもあるけど、制約なしに何かを書こうとするとドシドシ使ってしまう。

どうにも句読点、特に句点を使うのが苦手で、文章を切るときにスペースを使ってしまう
↑こういうふうに文末の句点も省略してしまいがち。これについては最近の若い人みんなそうらしいので特に言いたいことはない。

特に Twitter は思ったことをはいポン!はいポン!というテンポで書いているので、書いてある内容が一本の軸に載らないことが多い。句読点をしっかり使うと論理立ったちゃんとした文章という感じがしてしまうので、文章同士のつながりが薄いときにはどうも半角スペースで区切りたくなってしまう。あるいはメインの板書とは別にノートの端っこに補足として走り書きをするのに似ているかも。

ぼんやりとした言いたいことを一本の線の上に載せてわかりやすくまとめられる人はすごい。言語は読むのも聞くのも枝分かれのない一本の線の上でやらなきゃならないのでとても苦手。パラレル俺による輪唱を喰らえ


町中で半角スペース2つで区切って喋っている人を見かけたら、それはきっと俺かもしれません